コラム-2013.08.16 図と地について

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2013年8月16日
設計する上で常日頃考えている「図と地」のことについて少しコメントしたいと思います。
「図と地」の関係を説明する上で有名なのは「ルビンの壺」(右図)、人の見方によって壺に見えたり向き合う人の顔に見えたり、つまり図と地の関係が入れ替わるという例です。「図」は注意が向くところ、「地」は注意が向かない背景的なところ、と要約すると分かり易いかもしれません。
でもここで言いたいのは入れ替る面白さということではなく、デザインをする上では「図」ばかりではなく「地」を考慮すること、或いは「図と地」のバランスが重要であるということ。たとえばスーパーのチラシと、海外のデザイン雑誌の違いを見れば一目瞭然。前者は伝えたいことを紙面にぎゅうぎゅうと押し込んだ、「図」だけを意識した例で、後者は余白もしっかり計算に入れてバランスよく「図と地」を配した、ということになります。

ルビンの壺.jpg

さて、建築においての「図と地」となると、空間を構成する要素の内、アクセントやポイントとなるものが「図」で、それ以外の部分が「地」ということになります。具体的には装飾的なもの、目に留まるような仕上げ、見せるためのディテールなどが「図」にあたるものだと思いますが、最近の建築ではランダムに並べた正方形の窓とか、大胆奇抜な建築形態とか、もっと複合化した「図」が増えてきているように思います。私からすれば「どうだ!」と言わんばかりの建築、或いはいかにも「これ誰がデザインしたの?」と言われるような空間も全て「図」のように思うのですが…。
そして私はこの「図」の押し売りのようなデザインにかなり食傷気味です。例えばオープンハウスの際などに見学させていただく住宅。家具すら全く入っていないのに十分見ごたえがあるような建築、或いはその時点で既に空間が完成されていてもう何も足さない方が良いと思える空間も、やや「図」が過多なのではないかと。
極端な言い方をすれば、私自身は建築自体に「図」はいらないとさえ思います。そこに入る家具や備品、或いは窓から見える景色、入り込む自然光や流れる風が「図」であり、更に言えばそこを利用する人やそこに流れていく時間といった要素も加わって初めてちょうどバランスが取れればよいと思っていますので…。
そう考えると私が目指している建築デザインは「地」、つまり注意が向かない背景的なところだけをつくっているということなのか???
ちょっとさみしい感じもしますが、私はそれでいいのだ!と今は思うようになりました。